小島 奈津子さん

小島 奈津子さん

フリーアナウンサー

1968年(昭和43年)埼玉県生まれ。92年文学部卒業。92年株式会社フジテレビジョン入社。
入社後間もなく『おはよう!ナイスデイ』『タモリのボキャブラ天国』『笑っていいとも!』など多くの人気番組に出演し、後に『めざましテレビ』のメインキャスターとなる。
「なっちゃん」の愛称で、お茶の間の人気者として親しまれ、現在は、フリーアナウンサーとして活躍中。

「法政大学自主マスコミ講座」の三期生として、株式会社フジテレビジョンに入社され、今では誰もが知る女性人気アナウンサー。現在は、TBS系列情報番組『噂の!東京マガジン』にも出演中です。今回は、一児の母として、一社会人として奮闘中の小島奈津子さんにご多忙の中、お話を伺いました。

社会のニーズにあった法政大学に。

アナウンサーを目指したきっかけ。

私が学生の当時は、田丸美寿々さんとか、小宮悦子さんとか安藤優子さんとか、そういった方々が夕方のニュースを読み始めていた時代です。まだまだ認知度も低かったとは思いますが、女性でもニュースを読むことができる、社会に対して情報を発信することができるんだ、ということを知って、アナウンサーという仕事に興味を持つようになりました。その後、法政大学の「自主マスコミ講座(三期生)」に応募し、先生や仲間の協力もあってアナウンサーになることができました。

結婚までは、常に全速力で走っていました。

私は入社2年目で、今の『とくダネ! 』の枠で放送されている『おはよう!ナイスデイ』という番組を任されることになり、朝5時に家を出て仕事。その後は『めざましテレビ』に出演するようになり、朝3時に家を出て仕事をする日々を送るようになりました。まさに昼夜逆転の生活で、体力的にも精神的にも、本当にハードな毎日でした。毎日新しいニュースがあって、それをお伝えするのですけれども、ただ伝えるだけでなく、自分なりの個性も出さなければなりません。また、テレビに出演するだけでなく、番組を作ることが仕事ですので、ディレクターやプロデューサー達とまみれて、意見を出し合うこともしました。

入社してから33歳で結婚するまで、とにかく仕事して、寝て、起きて、食べて、仕事してという、本当にがむしゃらな毎日でした。マラソンならまだいいのですが、先が見えないので、常に全速力で走っているような状態だったと思います。

出産後は、子育てと仕事のバランスを保つことを第一優先に。

結婚するまではがむしゃらに、全速力で、つまずきつつも走っていました。でも、出産後は、家庭が壊れては本末転倒だと思って、私はフリーの道を選ぶわけです。当時は、今の年齢になるまで仕事をしているとは思わなかったし、仕事が来なくなるかもしれない不安もありました。

出産して母になり、世の子どもを持った女性が皆悩んでいるように、テレビをつければそんな話が毎日聞こえてくるように、どうやって「子育てと仕事を両立させるか」という課題が私にも突き付けられたわけです。

難しいのは、子どもの成長によって、その状況が常に変化していくことです。私の子どもも、今は小学生になったのですけれども、小学生には小学生の子供をもつ母としての悩みがあります。中学生、高校生と成長するにつれてその内容は常に変化するのでしょう。そして、それに応じて仕事との向き合い方も変わってくるので、そのバランスを取ることをいつも考えながら生活してきました。私もそうですが、世の中の子どもを持った女性にとって、仕事は一種の「挑戦」みたいなところがあるのではないでしょうか。

今も社会と関わる、法政のママ友。

大学の同級生(女性)は、今も社会と密接に関わっている人がたくさんいます。海外で恵まれない子どもたちを助けるNPO法人を立ち上げた人、翻訳と通訳の会社を立ち上げた人、大学教授になっている人もいます。先生になって、教育委員会でバリバリ頑張っている人もいます。私の一番の親友は、子育てをしていたのですけれども、教職を取っていたので、現在は小学校のスクール支援員として、子どもたちをサポートする仕事に就いていたりしています。

これは、法政大学に限らないのかもしれないけれども、卒業から25年たって、私たちの世代が、母になっても社会と関わっているんだと思うと、私も頑張らなければと勇気付けられます。

社会のニーズにあった法政大学に。

女性の働き方というのは今後ますます注目されると思います。まさにそういう時代に、田中優子先生が総長になられて、今のニーズに合った法政大学に、これからもっとなって欲しいと思いますね。大学が勢い付いていてくれるとOG・OBも元気になれますから。

一方で、私たちOG・OBも頑張らなければならないと思います。年齢を言うのもどうかと思いますが、45歳でもこれからだと思えるのです。ですから、私たちの世代だけではなくて、もっと上の世代も下の世代も頑張って、「大学を元気にする」。僣越ながら、その一端を私も担えるように、挑戦し続けていきたいと思います。

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